1月23日のカクテル 「ニコラシカ」

2021年1月23日 土曜日

1月23日は八甲田雪中行軍遭難事件が起きた日です

正確には1902年(明治35年)1月23日午前6時に

日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊第2大隊が

青森市から八甲田山での冬季訓練に出発した日だ

どの時点で遭難と判断するのかはわからないが

この後210名中199名が死亡する大惨事になってしまうのです

  映画「八甲田山」より

立ったまま仮死状態となっていた後藤伍長が

1月27日に捜索隊に発見されるまで

遭難したとは誰も思いたくなかったんだからね

 八甲田にある後藤伍長の像

その数日前

弘前からは弘前歩兵第31連隊38名が

同じ訓練に出発している

青森市側からと弘前市側から

同時に真冬の八甲田を走破しようという訓練だった

弘前隊は直接八甲田に入らず

十和田湖、十和田市を経由してから

数日後に八甲田に入山するルートをとった

訓練初日に八甲田に突入した青森隊とは対照的だ

弘前隊が全員生還した大きな理由のひとつだね

 津軽平野でロケされた弘前31連隊の行進場面

新田次郎原作「八甲田山死の彷徨」

中学の時に読んだ

その本を原作とした映画が大ヒットしたからだ

もちろん映画も見た

その映画のロケは

母校の眼と鼻の先で行われていた

 

 北大路欣也

青森隊を指揮した神成大尉役には北大路欣也

神成の上官で訓練をめちゃめちゃにした

山口少佐役に三國連太郎

 高倉健
弘前隊を指揮した福島大尉役に高倉健

監督は森谷司郎

製作は橋本忍、野村芳太郎

カメラが木村大作

音楽は芥川也寸志

すごいメンバーだった

そもそも

なぜ日本陸軍はこのような極寒訓練を

しなければいけなかったのか?

1895年の日清戦争後の下関条約で

日本が得た中国の遼東半島を

ロシアとフランスは

ドイツを味方にして中国に返還させていました

この頃のロシアとドイツは敵対関係にあった

なぜその二国が手を組んだのか?

 ニコライ

領土を広げたいロシア皇帝のニコライ2世と

黄色人種を恐れ差別する

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の

思惑が一致したからとされています

 ヴィルヘルム

ロシアはさらに南下して

朝鮮半島にまで圧力を強め始めます

この遼東半島返還以来

日本軍は日露戦争開戦への道を進んで行きました

八甲田の雪中行軍訓練は

当時緊張が高まっていたロシアとの戦争を仮定しての

準備だったのです

  伊藤博文

首相・伊藤博文がロシアとの戦争には

絶対反対を唱えていた中での訓練実行

そして遭難で多くの犠牲者を出してしまったのですから

軍と総理の間にも亀裂が入ってしまった事でしょう

さて、ニコラシカというカクテルを御存じかと思います

レモンスライスとお砂糖を口に含んで噛み噛みしたあとに

ブランデー60cc程を一気に飲み干すというものですね

カクテル名なのか、飲み方なのか良く分からないですね

カクテルブックによると

いつ誰が考え出したのか全く分からないそうです

はっきりしているのは

ドイツのハンブルグで誕生したという事と

ニコラシカとはロシア男性に多い

「ニコライ」という名前の愛称だという事です

ニコライ、ドイツ、ブランデー・・・

偶然ですが役者が揃った気がしませんか?

ロシアのニコライ皇帝

ロシアに敵対していたドイツ・ヴィルヘルム2世

ロシアと同盟を組んでいたフランスはブランデーの主産国

私の勝手な仮説ですが

もしかしたら「ニコラシカ」はこの時代(日露戦争開戦直前)に

ロシアとフランスを嫌っていた

ドイツ人が考えたのではないでしょうか

ブランデー(フランス)に

ロシア皇帝の名をつけて一気に飲み干す

しかもシェークやステアーなどの技法を使わずに

ただ口の中でグチャグチャレモンをかみ砕く粗野な飲み方で…

今日のカクテルはニコラシカにしましょう

Nikolaschka Cocktail
Recipe

Brandy 60ml

スライスしたレモンと砂糖を口に含み嚙合わせる

ブランデーと一緒に一気に飲み干す

八甲田では冬に限らず

現在でも時々遭難事件が発生します

最近では、とある高校の外国人講師が

スノーボードを楽しんでいる途中で

コースアウトして遭難

一晩を山中で過し翌朝

捜索隊に発見され助かりました

外国人の彼女は

遠い昔の八甲田雪中行軍事件を知りません

助かった彼女への取材で

質問した新聞記者が凍りつきました

「こっちじゃない!向こうに進め!

と軍服の人に言われたから

そのとおりに進んだら助かりました。」

が、助かった彼女の答え

彼女に限らず

八甲田で遭難して生還した人は

同じような事をコメントするらしいのです…