1990年8月28日午前3時45分、
海上保安庁千歳基地からYS11型飛行機1機が飛び立った。
行先はソ連サハリン。
当時は東西冷戦の真っ只中、
日本とソ連に国交は無かった。
数年前にはサハリン沖で
領空を侵犯した大韓航空機が
ソ連の戦闘機に撃墜されるという事件が起き
日本人25人が犠牲になっていた。
この日飛び立ったYS11も
いつ撃墜されるかわからない危険な飛行だった。
飛行機に搭乗していたのは札幌医大病院の医師ら13人。
なぜ民間の医師たちが危険を顧みずサハリンへ向かうのか。
事の発端はこの前日の8月27日に
北海道庁国際交流課にかかってきた一本の電話だった。
電話の主はたまたまサハリンに滞在していた
日本のビジネスマン。
「サハリンに一週間前に大やけどをした3才の子供がいる。
余命は70時間しかないが、サハリンの医療では助けられない。
日本で治療できないか。」
といった内容の電話であった。
電話を受けた同庁職員はすぐに外務省に電話、
外務省は法務省に連絡してソ連の子供と親を
ビザなしで緊急入国させる方法を模索した。
同庁は同時にサハリン州知事にも連絡、
北海道知事あてに正式に救助要請を出すように伝えた。
ソ連側から要請があって救助に向かうことで
飛行機が撃墜されるのを防ぐためである。
北海道知事は要請を受諾、
サハリンへ向かうのは海上保安庁千歳基地の飛行機、
札幌医大病院の医師団が搭乗することになったのであった。
サハリンから日本への救助要請が
きちんとソ連空軍に伝わっているのか。
伝わっていなければ機は撃墜されるだろう。
不安の中、YS11は無事
ユジノサハリンスク空港上空までたどり着いた。
ひどい濃霧ですぐには着陸できず
上空を1時間半も旋回した。
6時43分、僅かな霧の隙間をついて着陸。
大やけどをした3歳の少年、コンスタンチン君と
その父親を乗せて1時間後に離陸。
8時55分、北海道丘珠空港に着陸。
今度は北海道警察のヘリコプターで
札幌医大病院へ向かったのである。
9時11分、病院屋上のヘリポートに到着。
医師団はコンスタンチン君への
本格的な治療を開始した。
この時の生存確率は50%だったと
後に伝えられている。
翌日、4時間に及ぶ皮膚の移植手術が成功、
コンスタンチン君は熱湯の入ったバケツに
誤って転落してから、
実に10日ぶりに意識を回復した。
9月8日にはコンスタンチン君の母親が来日して
母子が再会した。
この母親は看護師であった。
日本の医療でしか助からないと判断したのは彼女で、
たまたまサハリンに滞在していた
会ったこともない日本人ビジネスマンに
日本の医療で息子を助けてほしいと
夫婦で懇願したのである。
そのビジネスマンが二人の熱意に打たれ
北海道庁に電話連絡したことから
今回の国境を越えた奇跡の救出劇が実現したのであった。
約三か月後の11月24日、
コンスタンチン君とその両親はサハリンへ無事帰国した。
今日のカクテルはコンスタンチンにしましょう。
CONSTANTINE Cocktail Recipe
コンスタンチンのレシピ
ドライジン 40ml
ヴェルモット・ロッソ 2dash
オレンジ・ビターズ 2dash
アブサン 1dash
マラスキーノ 1dash
材料をシェークしてカクテルグラスに注ぐ。
