2月17日は白洲次郎が生まれた日。
( 1902 – 1985 )
日本で初めてGパンを穿いた男といわれる。
豪商・白洲文平の子として
奔放に育った次郎。
奔放すぎてイギリスのケンブリッジ大学へ
島流し?にされたのが10代の後半。
やがて、イギリス流の
プリンシプル [ principle ] を
大切にする生き方を学んで帰国。
どんな時でも全く自分の原則、
流儀がぶれなかった男。
戦争がはじまると、
最初から勝てないと思っていた彼は、
イギリス仕込みの
カントリー・ジェントルマンを決め込んだ。
◇
普段は田舎で農業などをしながら
中央の政局に目を光らせ、
いざという時には中央に戻り
間違った政治を正す生き方が
カントリー・ジェントルマン。
◇
第二次大戦後、敗戦国日本の統治に乗り込み、
新憲法作成にあたっていたアメリカGHQにも
自分のプリンシプルに合わない事は断った。
アメリカ人からは「従順でない唯一の日本人」
とあだ名をつけられた。
◇
ケンブリッジで会得した
「オックスブリッジアクセント」
を知らないGHQの准将に、
英語が上手いと褒められた時、
「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」
と答えたそうだ・・・。
アメリカ人に向かって、
「もっと英語を勉強したら?」
と言ったわけです。
◇
通産省を作った後は政界から退き、
東北電力や大沢商会の会長などを歴任した。
◇
車大好きの白洲さんは、
80歳でポルシェ911sを飛ばす爺さんだった。
◇
さてさて、白洲次郎さんにまつわるカクテルを
ついに発見できませんでした。
今日は「白洲(しらす)」ならぬ
「白州(はくしゅう)」のハイボールを、お薦めいたします。
いつか白洲さんにちなんだカクテルを見つけます。
2010年、NHKドラマ・スペシャル「白洲次郎」で
全三回にわたってその生涯が放送されました。
◇
次郎役は「伊勢谷友介」、
妻・正子役に「中谷美紀」、
宰相・吉田茂役は「原田芳雄」。
父・文平に「奥田瑛二」。
監督はこの後「龍馬伝」の製作に入る
大友啓史さんでした。
白洲さんの生涯が良く判る、
素晴らしいドラマでしたね。
最後に白洲さんの
戦争に対する言葉を紹介しますね。
「吾々の時代にこの馬鹿な戦争をして、
元も子もなくした責任を
もっと痛烈に感じようではないか。
日本の経済は根本的の建て直しを
要求しているのだと思う。
恐らく吾々の余生の間には
大した好い日を見ずに終わるだろう。
それ程辞退は深刻で、前途は荊の道である。
然し吾々が招いたこの失敗を、
何分の一でも取り返して
吾々の子供、吾々の孫に引継ぐべき
責任と義務を私は感じる。」 (1953年)
(吉田茂と白洲さん)