11月13日はジーン・セバーグが生まれた日。
( 1938 – 1979 )
アイオワで生まれたセバーグは
『聖女ジャンヌ・ダーク』で映画デビュー、
17才だった。
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初主演した
『悲しみよこんにちは』で披露した
ショートカット・ヘアーが
セシル・カットと呼ばれて大流行する
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ゴダール(当時28才)の長編初監督作品
『勝手にしやがれ』(’59)で主演。
映画は世界的ヒットになり
セバーグ(当時20才)は
一躍、ヌーベルバーグ(新しい波)の
シンボリック女優に躍り出る。
それは1950年代の映画界に
欠かせない女優になったことを意味していた。
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今日のカクテルはジーン・セバーグにしましょう。
Jean Seberg Cocktail
Recipe
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『勝手にしやがれ』と邦題を決めた秦早穂子は
次のように語っている
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誰もが胸の痛みを隠して生き急いだ時代の中に、
全く別な怒りを抱いて私もいた。
『息切れ』という原題を、
『勝手にしやがれ』という日本題名にしたのは、
私自身の爆発であった。
(エスクァイア日本版2006.2より)
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アメリカからパリに移り住んだセバーグは
何度かの結婚と離婚を繰り返し
やがて小説家で映画監督の
ロマン・ガリと結婚して妊娠した。
ところが子供の父親はガリではなく
ブラックパンサーの幹部と揶揄され
精神的に追い詰められていく。
とうとう流産してしまい
それからは「うつ病」に悩まされたという。
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1979年8月に失踪。
11日後の9月8日、
パリ16区に停められた愛車ルノーの後部座席で
遺体で発見された。
遺書を手にしており
「許してください。もう私の神経は耐えられません」
と書かれていた。
自殺とされているが
夫のガリはFBIに暗殺されたとしている。
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『勝手にしやがれ』のラストは
自動車泥棒で警官殺しもした主人公
ジャン=ポール・ベルモント(当時23才)が
警官に背中を撃たれ瀕死の状態で
「デグュラス」(最低だ)と言って死んでいく。
映画の20年後のセバーグの最期が
その場面とあまりにも重なってしまうのだ。
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ちなみに沢田研二のヒット曲
『勝手にしやがれ』のタイトルは
この映画からつけられている。
映画ジーンセバーグの日記について
http://www.eiga-kawaraban.com/99/99090101.html