11月13日のカクテル 「ジーン・セバーグ」

2023年11月13日 月曜日

11月13日はジーン・セバーグが生まれた日。

1938 – 1979

 

アイオワで生まれたセバーグは

『聖女ジャンヌ・ダーク』で映画デビュー、

17才だった。

初主演した

『悲しみよこんにちは』で披露した

ショートカット・ヘアーが

セシル・カットと呼ばれて大流行する

ゴダール(当時28才)の長編初監督作品

『勝手にしやがれ』(’59)で主演。

映画は世界的ヒットになり

セバーグ(当時20才)は

一躍、ヌーベルバーグ(新しい波)の

シンボリック女優に躍り出る。

それは1950年代の映画界に

欠かせない女優になったことを意味していた。

今日のカクテルはジーン・セバーグにしましょう。

Jean Seberg Cocktail

Recipe

 

 

 

『勝手にしやがれ』と邦題を決めた秦早穂子は

次のように語っている

誰もが胸の痛みを隠して生き急いだ時代の中に、

全く別な怒りを抱いて私もいた。

『息切れ』という原題を、

『勝手にしやがれ』という日本題名にしたのは、

私自身の爆発であった。

(エスクァイア日本版2006.2より)

アメリカからパリに移り住んだセバーグは

何度かの結婚と離婚を繰り返し

やがて小説家で映画監督の

ロマン・ガリと結婚して妊娠した。

ところが子供の父親はガリではなく

ブラックパンサーの幹部と揶揄され

精神的に追い詰められていく。

とうとう流産してしまい

それからは「うつ病」に悩まされたという。

19798月に失踪。

11日後の98日、

パリ16区に停められた愛車ルノーの後部座席で

遺体で発見された。

遺書を手にしており

「許してください。もう私の神経は耐えられません」

と書かれていた。

自殺とされているが

夫のガリはFBIに暗殺されたとしている。

『勝手にしやがれ』のラストは

自動車泥棒で警官殺しもした主人公

ジャン=ポール・ベルモント(当時23才)が

警官に背中を撃たれ瀕死の状態で

「デグュラス」(最低だ)と言って死んでいく。

映画の20年後のセバーグの最期が

その場面とあまりにも重なってしまうのだ。

ちなみに沢田研二のヒット曲

『勝手にしやがれ』のタイトルは

この映画からつけられている。

 

映画ジーンセバーグの日記について

http://www.eiga-kawaraban.com/99/99090101.html