1952年(昭和27年)5月19日。
後楽園球場特設リングで行われた世界タイトルマッチには
4万人を超えるファンが集まりました。
これは、ボクシングの試合では現在でも史上最高の観客動員数です。
この日、ボクシングNBA(全米ボクシング協会)世界フライ級王座戦で
当時28歳の白井義男がアメリカのダド・マリノに判定勝ちし、
日本人初のボクシング世界チャンピオンになりました。
第二次大戦の敗戦に打ちひしがれていた日本人にとって、
アメリカ人を破った白井は「希望の光」で、
その功績は計り知れないといわれています。
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白井は右利きのアウトボクサーでした。
アウトボクサーとは「 一撃離脱スタイル 」のボクサーのことです。
打っては離れ、離れては打つ、
判定勝ちを前提としたスタイルなので、KO勝ちは少ないことが多い戦術です。
大場政夫、井岡弘樹、薬師寺保栄、長谷川穂積らがこのタイプのボクサーで、
長身でリーチに恵まれた選手が多いようです。
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ところが白井の戦績は48勝中20試合がKO勝ちです。
白井がアウトボクサーでは稀な、
「カウンター一発で、相手をしとめてしまうタイプ」のボクサーだったことを示しています。
そこで5月19日のカクテルは「KOカクテル」にしましょう。
「 KO cocktail 」
Whisky 15ml
Brandy 15ml
Dry Gin 15ml
Pernod 15ml
材料をシェークしてカクテルグラスに注ぐ。
白井は唯一ジムに所属しなかったチャンピオン。
日本ボクシング協会はジムに所属しない選手を認めていませんが、
当時は国民のあまりの白井人気に黙認するしかなかったようです。
日本人世界チャンピオンの戦績表には
白井は当時シライというジムに所属したように記載されていますが、
そのようなジムが存在したことはなく、白井の個人練習場のことだそうです。
厳格な日本ボクシング協会のことを考えると、
当時の白井の人気がどれほど凄かったかが判りますよね。