大越基が甲子園に帰ってくる

2012年2月10日 金曜日

1988年(昭和63年)の夏、第70回の高校野球選手権の青森県代表は弘前工業だった。

初戦で木村拓也(日ハムー広島ー巨人)捕手のいた宮崎南高校に8-4で敗れたが、

このときのレギュラーの大半が二年生で、彼らは翌年の第71回大会にも連続出場を果たした。

翌1989年(平成元年)、彼らが三年になった弘前工業は同校の野球部史上最強だった。

当時、「よほどの強豪と当たらない限り、初戦は勝てる」と、

野球部員が話していたという噂を耳にしたくらいだ。

その甲子園での初戦は2回戦からの登場となり、相手は沖縄代表の「石川高校」だった。

一回戦では宮城代表の仙台育英が勝ったが、岩手(盛岡三)、山形(日大山形)、

福島(学法石川)の三校は敗退していた。

残る東北勢は秋田(経法大付属)と弘前工業だけで、負けられない試合だった。

そして部員の宣言通り、最強・弘前工業は 5-1 でなんなく沖縄代表を下したのだ。

   1  2  3  4  5  6  7  8  9  計
 石 川  1  0  0  0  0  0  0  0  0

 1

 弘前工  0  0  1  0  4  0  0  0

 X

  5

 

 

 

 

投手 石 川 : 山城長、伊波修

    弘前工 : 齋藤健

 私は狂喜した。

青森県代表が甲子園で勝つ事が難しかった時代のこと、

まして、相手は前年の選手権でベスト4に入っていた沖縄の代表だったからだ。

それでも最強・弘前工業には全然余力があった。

投手も齋藤、佐藤の二枚看板で、厳しい夏の大会を勝ち進む条件は整っていた。

ベストエイト以上は確実だ…、私は確信した。

しかし、神様の意地悪はここから始まった……。

なんと弘前工業の三回戦の対戦相手が

同じ東北勢で、優勝候補だった宮城・仙台育英と決まったのだ。

仙台育英のエースは「大越基(おおこしもとい)」。

青森県八戸二中の出身で150kmを超える速球を投げる。

私は,最強・弘前工業でも仙台育英に勝つのは難しいと思っていた。

しかし、弘前工業の先発、背番号12番の左腕、佐藤の投球を見て、

勝てると思った。

佐藤の巧みな投球術にはまり込んだ仙台育英は、自慢の強力打線が沈黙し、

八回までに一点しか取れなかった。

そして、弘前工業は快速エースの大越から一点を取っていた。

八回表の弘前工業の攻撃が終わった時点で、1-1の同点だったのだ……。

そして運命の八回裏一死、打席に立ったのはそれまで10打数無安打、

完璧に打撃不振に落ち込んでいた三番打者でエースの大越だった。

この回に点を取れば弘前工業の攻撃は九回表だけである。

10打数無安打ながら長打力のある大越の考えは誰が見ても明らかだ。

一発狙いである……。

次の回の投球のことを考えれば、フルスイングも一回しかできない。

 

狙いは「いちかばちかの」、初球しかない。

 

そんなことは弘前工業バッテリーが一番知っていたはずだ。

しかし、野球の神様は弘前工業に意地悪だ。

弘前工業が甲子園初出場した春のセンバツでも、高校野球10大悲劇と称される意地悪をしている。

(詳しくは  2010年 9月 15日のブログで紹介しています)

左腕のサイドスロー、佐藤が投げ込んだ初球、

外角ギリギリ、おそらくボールになってもいいと思って投げたボールがスーっと、

ど真ん中に吸い込まれていった。

大越は予定通り、いちにのサンッ!でバットを振りぬいた。

「キーン……ッ」。

金属バットがボールを芯でとらえた時のあの音が、甲子園の銀傘にこだました。

最強・弘前工業の左翼手は静かに打球を見上げただけだった。

ボールが左翼席にはずんでいた。

 ↓  この場面がyoutubeにアップされているので、見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=HERt9Y7iGTM

仙台育英 2対1 弘前工業。

   1  2  3  4  5  6  7  8  9  計
 弘前工  0  0  0  0  1  0  0  0  0  1
 仙台育英  0  0  0  1  0  0  0  1  X  2

 

 

 投手 弘前工 : 佐藤            本塁打 : 大越(仙台育英)

     仙台育英 : 大越

最強・弘前工業の夏は接戦の末にが終わった……。

悔しかったが、弘前工業の夢を破った大越は、その後、快進撃した。

翌日の準々決勝で、元木(巨人)や種田(横浜)を擁して、

五ヶ月前の春の選抜で準優勝し、今大会優勝候補筆頭だった

上宮(大阪代表)を10対2の大差で破る。

      

 

 

 

 

さらに準決勝では谷佳知(オリックスー巨人)のいた、

尽誠学園(香川代表)を、延長10回で3対2で下し、ついに決勝に進出した。

 

 

 

 

 

決勝戦の相手は準決勝で秋田経法大付属を下した、

吉岡雄二(巨人)がエースだった帝京高校(東東京)。

 

 

 

 

 

仙台育英にとっては6試合目。

大越は弘前工業戦から4日連続の登板だった。

 

 

 

 

大越の疲労は誰の目にも明らかだったが、気力が体力を上回ったような投球で、

九回まで帝京に得点を許さなかった。

しかし延長10回に力尽きた。

   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  計
 帝   京  0  0  0  0  0  0  0  0  0  2  2
 仙台育英  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0

 投手  帝  京 : 吉岡

      仙台育英 : 大越

 

試合は2-0(延長10回)で帝京が制し、東北勢悲願の優勝は成らなかったが、

大越の気迫あふれるプレイに感動した人は少なくなかった。

1990年、大越は早大に進み、早速野球部で活躍したが、一年の秋に退部してしまった。

 

大越は私の前から消えてしまった。

 

二年後、福岡ダイエーホークスがドラフトで大越を指名した。

大越が帰って来た、投手から外野手に転向して活躍した。

外野フェンスに激突する気迫あふれるプレイを見て、

十年前の甲子園の決勝、帝京戦での鬼気迫る投球を思い出した。

 

 

 

 

 

 

2003年、ダイエーが阪神を倒して日本一になった直後、

大越は戦力外通告を受け退団。

再び、私の前から消えてしまった。

プロ野球を引退した選手のその後を知ることはほとんど無い。

大越もそうなのだろうと思っていたが、彼はまたまた戻って来てくれた……!

 

3月21日に開幕する春の選抜高校野球。

中国地区を代表して出場する山口県下関市の早鞆高等学校(はやともこうとうがっこう)。

この高校の野球部監督が「大越基」だ。

 

 

 

 

 

 

プロ退団後、大学に通い、高校野球の指導者になるために教員免許を取っていたのだ。

桜美林高校初優勝時の主将・片桐さん、八打席連続安打の柳川商業・末次さん、

背番号10のエース、東北高校・佐々木さん、

身近なところでは弘前実業甲子園初出場時の主将・横山さんなどが

指導者として甲子園に帰ってくる事はあったが、

プロ野球で活躍した選手が高校野球の監督になって、

甲子園に戻ってくる……、極めて珍しい例だ。

この春のセンバツは、ファイター大越基率いる、山口県の早鞆高校に注目したい。